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最初はドンブラザーズが終わったらそのまま視聴をやめようと考えていた矢先、3月で「逃走中」の日曜朝昇格と引き換えに終了という話を耳にし、ついでにと結局最後まで見通した「デジモンゴーストゲーム」。
今は最早懐かしの枠と化したドンブラザーズの前座として見始めたこの作品でしたが、単品でもきちんと視聴に耐えるレベルにはなっていたように感じます。


しかしこの作品、どうにも裏番組の「仮面ライダー」に客を持っていかれ、毎週Twitterのトレンドを占拠していく仮面ライダーを尻目に、敵デジモンの名前が17位くらいにフラフラしているだけというどうにも盛り上がりに欠ける作品となってしまっている印象があります。
少なくとも仮面ライダーよりは良い作品なのにどうして?
その理由は仮面ライダーが既に50年という長い年月を重ね、完全にブランドと化してブランド絶対主義のジャップの大衆心理をつかんでしまっているというのもありますが、問題はそれだけではないでしょう。
ここからは、本作がなぜ大衆の心をつかめなかったのか?という点についての考察をしてみたいと思います。

①地味なキャラクター
昨今、視聴者の関心はキャラクターの魅力というところに注がれます。
相棒・ドンブラザーズが「リュウソウジャー」「キラメイジャー」という直近二作の地味なキャラクターたちと比較し、あまりにも濃いキャラクターたちで構成され、その濃いキャラクター同士の(それでいて妙な所でリアリティのある)個性のぶつけ合いによって視聴者の目を惹きつけていたのと比較すると、どうにも本作のキャラクターは地味に映ります。
まず主人公の宙です。

まあ普通に地味です。

すごく良い子で自己犠牲心もあってヒーロー精神の鑑なのは良いとしましょう。

でもそれだけじゃあ人気出ませんよ。

そもそも普段から何をやってんのかもよくわかりません。一応キャンプとか釣りが好きって設定みたいですけど、その設定はロクに使われないし、使われても本人が普段からそれにものを喩えたり、その知識をもとに事件解決のヒントつかんだりという生活感がないことから、キャラとして血肉が通ってません。
友人とかもいるみたいですけど友人が一方的に喋ってばかりで自分の意見とかを開陳するシーンもないし、
一体彼自身がどのような人間で、何を成そうとしているのかも伝わってきません。
ドンブラザーズの主人公「桃井タロウ」と並べてみれば分かります。
タロウもまた犠牲精神があるし、他人のために闘うヒーローではあるんですけど、感性が他人と違いすぎるし、その感性ゆえにナチュラルに傲岸不遜で、その性格ゆえに他人と壁があって常に孤独を感じていたっていう超クセの強いキャラだったんですよ。
だから視聴者から人気が出たんですよ。幸せになってほしい的な。
でも忠君の場合単なる良い子ちゃんキャラに終始してて、単に主人公として王道直球のことやってただけなんです。
なんていうか「好きだけど恋人にはちょっと……」みたいな感じに留まっちゃってるんですよ。
これ勿体ないなあって感じです。
まあ宙の場合パートナーのガンマモンがすげえ可愛いから良しとしましょう。
でも次の瑠璃はもっと悲惨です。

マジこの子虚無ですよ。

こっちも普通に社交的な良い子ちゃんすぎて宙と代わり映えしないんすよ。
創作物において似たようなキャラクターがメインに二人以上いるのは自殺行為です。
それならどっちかだけいればいいってことになるじゃないですか。
それでも創作物である以上両方に出番を割かなきゃいけない以上、そうなるともうずっと地味な展開ばかり見ることになって視聴者から飽きられる要因になるんですよ。
で、音楽が好きみたいな設定ありますけどこっちも全然使われません。
暇さえあれば色んな楽器試してるとか、物事を音楽に喩えるみたいな感じにすればいいんですけど、こっちも案の定そういう描写は皆無なんでたまに思い出したかのように使われるだけです。

しかもマズいのは瑠璃の場合パートナーのアンゴラモンも地味なんですよ。

普通に女の子を守ってくれるナイトみたいな感じですが、まあこれも頭良くてデジモンの知識に明るいみたいな個性はあるんですが、それ以上のものはほとんど感じません。
一応話の最後に高確率でポエムみたいなのを語って〆る役割はあるんですけど、目立てるのがそれくらいで後は「空飛べるのが便利」くらいの印象しかないです。
あと瑠璃も言うほど守れてません。守るべき所ではしっかり守れてるんですけど、目離してるうちに瑠璃が再起不能にされるとかそういうシーンも散見されます。
せっかく武士道物語が好きって設定あるんだから、もっとそれを押し出して(以下略)
あるいはポエム使いなんでそれこそドンブラザーズの猿原みたいに事あるごとにポエム言うみたいな感じにすればキャラも立っていただろうに、勿体ないの一言ですよ。

唯一キャラがしっかり立っていたといえるのは清司朗とジェリーモンでしょうか。
清司朗は「超天才頭脳を持ちながらサブカル趣味を持つ(その割にコミュ症でもなく割と社交的)が臆病」というなかなか濃いめのキャラだし、
そのパートナーのジェリーモンも押しかけ女房みたいに清司朗を一方的にダーリンと呼ぶ守銭奴のトラブルメーカーということで、二人の夫婦漫才はそれなりに視聴者を楽しませるものとなってくれたと思います。
ペアが人間♂と人外♀というのもいいです。大好物です。
こういう組み合わせもっと増えてくれないかなと思ってるし。

②ワンパターンな展開

真の相棒といえるドンブラザーズが、(風呂敷の畳み方はともかく)毎週のように新展開や新用語を生み出し、視聴者の興味を引き付け続けたのと比べると、
毎週やることはデジモンの引き起こす事件に三人が右往左往し、デジモンが進化しては危機を脱し、そして被害に遭った人たちは元に戻って解決―――という展開ばかりで、一話二話程度なら見過ごしても問題ないという低調ぶりは、どうにも視聴者に継続した視聴を約束させるものでなかったように思われます。
それは「サザエさん」や「水戸黄門」のように視聴者に安心感を与える作品であろうとする意図的な狙いなのかもしれませんが、少なくとも視聴者の興味を惹きつけるのには至っていないと言わざるを得ません。
そしてそれは次の問題をますます加速させることに繋がるのです。

③ホラー要素とデジモン要素の相性の悪さ

おそらく最大の問題はこれだと思います。

私は「デジモン」という作品には明るくなく、「リバイス」の視聴を打ち切って見始めたのが初めてというレベルだったので、その基本フォーマットについての認識はかなり弱いのですが、ざっと調べた限りの認識だと、
  • 「人間とデジモンがパートナーという形でコンビを組む」
  • 「主人公とデジモンの心がシンクロすることでデジモンが進化する」
  • 「友情が深まるたびデジモンはより強い形態へと進化してゆく」
  • 「より強い進化によって敵デジモンは主人公らのデジモンに撃退される」
これが基本のフォーマットであるように見受けられます。が、この作品に限ってはそのフォーマットが、作品が打ち出しているホラー要素とどうにもかみ合っていないように感じられます。
そもそもホラーがホラーである理由とは、人々が日常の中にひそむ非日常によって、その日常を大きく阻害されるということが挙げられます。
有名なホラー作品なども、ほとんどはそうした片田舎で突然ナタを持った男が襲い掛かってくるのも、夢の中で殺戮が繰り広げられるのも、海水浴場でサメに襲われるのも、すべては日常風景の中で行われていることです。
中には自ら心霊スポットに乗り込むような作品もありますが、そうした作品も基本は主人公らが一般的な世界で一般的な日常生活を送っているという基本があってのものでしょう。
平穏な日常の中に突然ノイズのようにどうしようもない非日常が紛れ込んでくるからこそ、ホラーはホラーであるといえるのです。
墓地に住まう墓守が幽霊に囲まれて暮らしていたり、超サイヤ人がドラゴンボールを探しに幽霊の森で幽霊に出くわしたとしても、それはギャグ以上のものにはなれません。
が、本作の場合人間とAIホログラムが共存する世界という世界観の設定が既に非日常であり、この時点でそうした日常感を出すのは厳しいといえます。
さらに問題なのは、主人公を補佐するデジモンたちは主人公と心を合わせることで進化し、怪奇現象に立ち向かう力があるということであり、この時点でホラーの恐怖感はかなり薄れてしまいます。
ホラー映画で女性主人公が多い理由というのが、屈強な男が怪奇現象を前に恐怖する映像が視聴者に共感を呼びにくいからというのはよく言われていることですが、
本作はまさにそれを地で行ってしまっている作品だといえます。
さらに当作品のフォーマットが「敵デジモンと戦い、それを倒す」という内容に終始してしまっていることもそれに輪をかけ、
何か怪奇現象が起きても、「どうせデジモンの仕業なんだからそいつを倒せばいいだろ」という考えがどうしても頭をよぎり、そして実際にその通りに事件は解決してしまい、素直にホラーを楽しめないという悪循環に陥ってしまっているのです。
もしも敵デジモンを倒すことだけが勝利の条件でなく、怪奇現象そのものをデジモンの力を使って解決するというシーンがもっと多ければよかったのでしょうが、残念ながらそういったシーンが描かれたことはほぼありません。
商業的な意味でそうしたバトルシーンを入れざるを得なかったのでしょうが、ではそもそもホラーとバトル要素のある作品を組み合わせること自体が間違いだったといえます。
正直なところ、ホラーやりたいなら無理にデジモンと組み合わせなくても鬼太郎の新シーズンをやっていた方が良かったのでは?と思えてしまうのです。

そしてその販促の方も上手く行っている感じはしません。

ちなみにこのアニメーションは一応玩具「デジヴァイス」と連動するものとなっているのですが、この玩具を使ったオンラインサービスは放送終了を待たずして終了してしまいましたし、
またそちらの方では主人公デジモン・ガンマモンの進化系統として「アルクトゥルスモン」「プロキシマモン」が登場しましたが、本作ではなんと最終回まで登場せずじまいに終わりました。
こんなん仮面ライダーで最終変身形態が登場しないまま終わるようなもんじゃないですか。
販促番組というものはどうしても玩具を売ることと物語を進めることで制作サイドが板挟みにされるものですが、本作に限ってはどちらも失敗しているようにしか思えません。
ひょっとしたら映画でやるのかもしれませんが、この玩具の低調ぶりでそこまでやる判断が下りるかは甚だ疑問と言わざるを得ません。


とはいっても良かったところももちろんありますよ。
それはキャラクターデザインの良さと一部キャラクターの良さでしょう。

ガンマモンは先にもチラッと描きましたがすげえ可愛いですよ。ええ。
宙を兄と慕って愛想ふりまきながらチョコレートを最強と称してボリボリ貪る姿はいつ見ても癒されますし、キラキラした目のデザインも含めてしっかり魅力的に描けてたと思います。
頭脳が幼稚園児レベルだからか魚を「キラキラ」と言ってみたり、バナナを「ナババ」と言ってみたりとかもあどけなさが表現できてて非常に良かったと思います。
最終回でも宙が偽ガンマモンを見抜くきっかけとなった言葉遣いですが、これは最初から最後まで一貫していたので、しっかりとガンマモンというキャラクターの血肉になっていたのではないでしょうか。
これでメスだったらなぁ……
私も絵を描いてる人間ですから、ガンマモンの描き方はすごく勉強になりました。これからもガンマモンに学んだことを人生の糧にしていきたいと思います。
で、先ほども言及した清司朗とジェリーモンの関係性も良かったですね。
残念ながら最後まで関係性は変わりませんでしたが、人間とデジモンの間に愛情は存在しうるかっていうテーマに足を踏み入れたこと自体も良かったです。
だいたい清司朗がルイージみたいにビビッてヘタレている時にジェリーモンがビリビリで喝入れるってパターンが多いんですが、何度見てもほっこりしますよ。こういう二人にだけ許されたコミュニケーションっていいですよね。
ドンブラザーズでも「脈がない、死んでます」からの大喜びっていう常軌を逸したシーン(これがやりたかっただけやろ!w)ありましたけど、それとちょっと似ています。
エスピモンなんかも最初見た時はなんだこのクソダサデザインはと思ってましたが、アニメーションの中では声優の演技力や本人の「なんだかんだ言いながら人が良い」っていうキャラクター性も含めてだんだん好きになっていきました。(それだけに最後は瑠璃・清司朗含めてほぼいるだけ状態だったけど……)
他にもいろいろデジモンが出てきましたが、そのどれもデザイン性はしっかりしていたし、個性的なものが多くて創作意欲を刺激されました。
個人的にはリュウダモンが好みです。実は初期からいるデジモンだそうですが(最近買った本に書いてあった)、それも情報がない人間にとっては今現れたのと同じですからね。(それだけにギンリュウモンに進化したら一気に出番減るのは……)
そういう意味ではやっぱり「見てよかったなあ」という感じはします。いい歳こいた大人がアニメ見るには何かしら理由がなければダメですからね。私の場合は勉強です。


もう少しキャラクターの味付けを濃くして、より記号性を高めておけば少なくともここまで地味なキャラクターが並ぶことはなかっただろうし、
無理にホラーと絡めなくても、もっと各キャラクターの日常性を掘り下げる回を多く用意しておけばより視聴者の興味を惹きつけられただろうし、
ある意味本作が「あり得た姿」としてドンブラザーズが裏番組となったのは運命だったのかもしれません。
「素材は悪くないけどそれをちゃんと調理できなかったなあ……」という感じでしょうか。

さて、次番組は逃走中で人外キャラも出てこなそうだし、戦隊もまあ……という感じなので私は日曜朝の枠から完全撤退します。
4月からは入学シーズンということもあるし、私も新しいことを色々やっていこうと思いますので、またお付き合いよろしくお願いします。